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※耐熱磁器ではございませんので、直火にかけたりオーブンを使用しないで下さい。 【作家紹介】 絵僧 -ESOW- 1972 年、東京生まれ。 13 歳でスケートボードに乗り出し、17 歳で渡米。 グラフィティに出会い、自らのルーツでもある江戸の粋に影響を受けた独自のスタイルを生み出す。 浅草を拠点に国内はもとよりアメリカ、ヨーロッパ、アジアなどでも作品を発表し長年注目を集め続けている。 表現の媒体は紙、壁、材木、立体など、幅広く柔軟。 また、様々なブランドや企業への作品提供等その活躍は多岐にわたる。 日本のスケートカルチャーにおけるパイオニア集団「T19」の創立時からのメンバーであり、日本のグラフィティ史にその功績を刻んだ「大図実験」の一員でもあった。 浅草地下街にて営まれたアトリエ兼ショップ・ギャラリー「フウライ堂」は惜しまれつつも2018年末に閉店。 2019年より浅草に設立した新たなアトリエを拠点として精力的に制作を続けている。 instagram : @esowom 【九谷焼の歴史】 九谷焼の歴史は、江戸時代前期の1655(明暦元)年ごろにさかのぼります。 加賀藩の命により、有田で陶技を学んだ後藤才治郎が、江沼郡九谷村(現在の石川県加賀市山中温泉の奥地)で開窯したのが始まりです。 しかし、わずか50年たらずで廃窯。 原因はいまだ定かではありませんが、この間に焼かれたものを、「古九谷(こくたに)」と呼びます。(※現在古九谷の多くは芸術品として美術館などに展示、所蔵されている。) 古九谷の廃窯から約1世紀後の文化4年(1807年)に加賀藩が京都から青木木米を招き金沢の春日山(現在の金沢市山の上町)に春日山窯を開かせたのを皮切りに、数々の窯が加賀地方一帯に立ちました。 その後木米が京に帰った後、若杉窯の開祖となる「本多貞吉」が近郊の陶磁石を探索し、1811年に小松市八幡の花坂山に良質な陶磁石を発見したため、若杉村十村の林八兵衛の協力を得て若杉窯を開窯しました。 これらの窯の製品から「再興九谷」の時代が始まり、現在へと繋がれております。 九九谷もまた歴史と繋がるこの小松市八幡に位置しております。 サイズ:高さ3.3cm×横6cm ※こちらの数値はあくまで目安となりますので、実際の商品とでは多少の誤差が生じる場合があります。 素材:磁器 | ||||||||
アイテム一覧: | ||||||||
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九九谷 |